今年の暑さは災害級ですね。
先週8月5日には伊勢崎市で観測史上日本一の41.8℃を記録し、
我が高崎市も40.5℃と、もはや被災地!
ということで命を守る行動を第一に考え、自主避難してきました。
出発は気温が上がる前にと思い早朝6時、すでに29℃、早く逃げねば!
必死に逃げ9時に長野県は八ヶ岳に近い高原の避難所に到着。
仮設住宅で不便な避難生活の始まりです。
前方に見えるのは日本二百名山の御座山(おぐらさん))
着の身着のまま逃げてきたので、食材は近所のスーパーへ調達に行きました。
避難者にありがたい食糧支援価格で調達できました。
まずは命を守るための水分補給、大事です。
避難生活において水は無駄にはできません、
アスパラと枝豆は茹でずに蒸しました。
塩分補給のキュウリの漬物は社長から配給の支援物資です。
目の前には東村山市からの避難者も到着。
「せっかくの景色がぁ~」などとは言っていられません、
困ったときはお互い様です。
最も気温が上がった午後二時でも28℃、
40℃の地獄から逃げてきた避難民にとっては過ごしやすかったです。
嗚呼、避難生活はツラいなぁ。
灼熱の地で弱った体に、近くの施設で温泉治療を受けました。
避難所と同じ団体が運営しているため、
避難民は支援割引価格400円で利用できました。
治療を受け、体力が回復したので本格的に栄養と水分を補給しました。
支援物資のホタテは、そのお値段から見た目も危険な香りプンプンでしたので、よ~く焼いていただきました。
味は普通でしたが砂がすごかったです。(こういうホタテって、洗ってから使うものでしょうか?)
Tシャツでは夜は涼しかったので暖を採るため火を焚きました。
翌朝目覚めると、雨。
しばらく雨に降られていない灼熱の民には、命の雨のように感じました。
「夕方まで滞在していいですよ」という避難所の厚意に甘え、
雨が止んだお昼過ぎまで避難してました。
思いのほか避難生活が長引き食料が尽きたので、
途中の食堂で空腹を満たし再び灼熱のグンマーに帰還。
いやぁ、キビシイ避難生活でした!
お客様係 飯塚邦彦